ジブリ継承の正当性が問われはじめた? 宮崎吾朗「ゲド戦記」に巻き起こる暗雲

ようやく中国から戻ってきましたよ。なんというか……微妙に国造りに失敗しているよなぁ、中国。
さてメールに返事を書いたり、ネットサーフィン(死語)をしていたらとにかく宮崎吾朗初監督作品の、ゲド戦記の試写会での評判が非常に悪いことが目に付いた。
http://moviessearch.yahoo.co.jp/userreview/tymv/id324031/p1/s0/
今年のアニメ映画の下馬評では、
1位 ゲド戦記
2位 ブレイブストーリー
3位 時をかける少女

という感じであり、おそらくは興行収入もこのような形で推移する可能性は高い。けれどもDVDが発売されて、来年以降のジブリ新作が展開されていく中では、ひょっとすると「やっぱり親の七光りか」的な見方が敷衍されて、ジブリ凋落の最初の一歩と云われるようになるのはこのゲド戦記かもしれない。
それぐらいの評判の悪さがこの「ゲド戦記」には付きまといそうだ。電通&博報堂という史上最強タッグであっても、これは食い止められない。
「親の七光り」という言葉をもっとも嫌うのは、誰だろうか。それは現在、就学児童を持っている母親層だ。そしてジブリアニメに子どもを連れて行くのは、誰あろうこの母親層だ。史上最強の親子相続国家=北朝鮮(笑)のおふざけやら、勝ち組・負け組の二極化構造に対する庶民感情の政策への不満感が漂っている中、今回はとりあえず興行成績で勝ち抜けたとしても、宮崎吾朗第二回監督作品(笑)は、酷いことになりそうだ。
結局、「後継者育成競争」というフレームで富野由悠季宮崎駿を見てきたのだけれども、こちらは下馬評通りに富野勝利で終わりそうな感じだ。
Ζガンダム劇場版で見る富野と宮崎の教育観の違い - さて次の企画は
劇場版Ζガンダムでの富野と宮崎の教育観の違い(続き) - さて次の企画は
中国をかなりの駆け足で回ってきて思ったのだけれども、
古来よりアジア文化圏では有能な宰相の横やりで後継者の育成に失敗する父親=皇帝は、母親=国母や臣民たちから主権の正当性=信を失う。そして有能な部下の離反や頻発する反乱の末に、国力は疲弊しあっという間に滅んでいく
という例が数多い。そういうのを中国で見てきて感じるところが多かった。
いま「ゲド戦記」に問われているのは、宮崎吾朗ジブリを継ぐに足る正当性があるかという点だ。
だが試写会評を見る限りでは、どうやらそれは失敗したようだ。日本のアニメ文化がいかに継承されていくかという行く末を鑑みてそう思った。

◆ぴあ3夜連続試写会で見た。
あえてジブリの作品が大好きなので厳しくいきます。まず監督は、脚本の勉強から始めてみてください。何を伝えたいのか、誰にも感情移入できませんでした。感情起伏が起きません。映像と音楽を楽しめって感じでした。盛り上がりもなくだらだらとしてました。まず、子供が楽しめる映画では、ないし、かと言って大人からみても中途半端な作品に仕上がってます。テンポがない。この作品に関していうならば、まだ吾朗監督には、若すぎたからかも知れませんし、監督第1回目の作品としては、難しかったと思います。申し訳ないが、個人的には人生経験の長い宮崎駿監督の作品でこの映画は、見てみたかったです。次回は、脚本あってのジブリ作品だと思っているので頑張ってください。

◆何も言うべきことがありません。
見終わった後、「だから何?」と思ってしまいました。
なにもかも中途半端すぎます。

◆観た後、気持ちが悪くなった
この映画を観て納得できなかったところ
・岡田君の声と絵が合ってない
・テルーの唄が唐突
・説明不足なストーリー展開
・全然笑えるシーンが無い
・主人公に共感できない
子供連れにはおすすめできません。。

◆試写会感想
原作は学生時代に一度読んだきりですが、あれ、こんなお話だったっけ…?と???マークが連発でした。アニメオリジナルの設定を盛り込んでいるようです。
結論から言ってしまうと、駄目な映画です。
ゲド戦記の世界観に関する説明は少なく、様々なシーンで観客が置き去りにされます。キャラクターの視点がバラバラで感情移入も難しく、拾うべき伏線は拾いきれず、話の矛盾は山盛り。
声優のキャスティングも、思っていたよりしっくりこず、また演出なのかスピーカーが悪いのか、台詞回しが非常に聞き取りづらいシーンが多々あります(そういう場面に限って、設定関係だったりすると目も当てられません…)。
(中略)
「終わり」の文字の後に出てきた溜息と失笑、スタッフロールの後、ぱらぱらと、お情け程度に聞こえる拍手が、この映画のすべてを物語っているように思えます。
この映画に関しては、広告展開が派手だったことも失敗かも知れません。(広告の派手さに)期待した分だけ裏切られ、「名匠の二世はやっぱり…」というレッテルだけが心に貼り付けられる。

◆お父さんの足元にも及ばない。
これだけの洗練されたスタッフ、豪華な声優陣を迎え、何故こんな低レベルなクオリティのアニメを作るのか?と叱責したいくらいだ。
問題を挙げたらキリがないとはまさにこのこと。まず、序盤から壮大な物語展開を予想させるシーンから始まるのだが、本編が描いてることは、言うなれば、ただの内輪モメの収拾。
当初は大賢人ゲドと主人公アレンなどが、竜、王国など様々な要素を孕みつつ展開する“戦乱”に巻き込まれていくんだろうな、と思っていたが、見事に裏切られた。感情移入できない登場人物の日常をわけもわからず見せられ、まったく展開運びに大きな動きがない進行。開始1時間を過ぎてもまったく見えてこない壮大さに正直うんざりした。もちろんその後の展開もいたって普通でわかり易い。序盤のあのシーンはなんだったの?という疑問を投げかけても答えは返ってこない。まさに八方塞の不出来映画。
父親と決定的に違う部分、それは「イマジネーションが足りない」という部分だろう。宮崎アニメのいいところは、1カット1カットを全力で作っているところだ。そして、数分間に1回、もう感服するようなワクワクやドキドキがある。それが連鎖して、えもいわれぬ、感覚、満足感を味わえる。宮崎駿のイマジネーションで構築された独特な世界観、マシンのデザイン、小道具ひとつ取っても見入ってしまうし、街並みひとつとっても、隅々まで見てしまい、「ここに生きている人たちをもっと見たい」と感じる。しかしこの作品は絶望的なほどそれが足りない。というか皆無。
心の隅をかき回すようなワクワクはまったく得られなかった。そして、大事なところはちゃんとセリフで言わせてしまう始末。もうこの辺りになってくると、どうでもいい。こんな作品で“ジブリ””宮崎アニメ”という看板を掲げ宣伝していることを遺憾にすら思う。

◆これは、「ゲド戦記」ではありません。
正直、これほどとは思わなかったのです。
アニメーションに初めて携わる宮崎駿氏のご子息とは言え、まわりを固めるのはあのジブリのスタッフ。実質「宮崎吾朗監督作品」ではなかったとしても、映画として悪くない、無難な出来になるのだろうと思っていました。甘かったです。
聞き取りづらいセリフ、素人目にもひっかかりのある場面転換。
原作にある世界観や設定を、どうアニメーションにするのかと期待していましたが、観念的な部分は全てセリフに丸投げ。
(中略)
駿監督の息子たる吾朗監督には、確かに「原作を破壊する」遺伝子は受け継がれているようです。
しかし、後者「とにかく面白いものを作る」力は受け継がれてはいないのだと、深い失望と共に思いました。

◆映画、物語として成立していません。
ジブリ作品ですし、原作を逸脱する事に違和感は感じませんが、
舞台となるアースシーの現状や、登場人物の行動する理由くらいは何らかの形で説明できないんですかねぇ…
ボソボソと聞き取れない会話。抑揚のない展開。
そんな中、唐突に命の大切さを叫ぶ主要キャラの二人。
アップと引きばかりのデビューしたての漫画家の作品の様な構図。
本当、試写でよかったです。
お金を払う価値はありません。
監督の練習作として、金曜ロードショーの特別番組とかで放映されていたなら、
「こんなもんか…」くらいには思えたかもしれません。

◆試写会
今回の作品は、やはり監督の父親が偉大な宮崎駿監督であるということで、とても楽しみにしていました。しかし、「まぁ初監督だし、あんまり期待しすぎても可哀想だな」と思ったので、かなり甘いめで見たつもりでしたが、それにしても酷かったです。まず、なんといっても物語の展開があまりにも唐突すぎて意味がわからず、幼稚ささえ感じました。
テルーが突然 ドラゴンになったところなど、映画上映中にも関わらず、隣の友人と「なんで?」と顔を見合わせてしまいました。
演出についても、広大な世界観をあらわしたかったのかもしれませんが、逆効果であったように思います。吾郎監督が作りたかった画というものがなんとなく理解できるものの、観客がおきざりになっている感が否めませんでした。アレンとテルーが真の名を明かしあうシーンなどが典型だと思いました。