竹熊健太郎のブログから見る90年代のエポックについて

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ゾンビの後編だが、非常に面白く読めたのは70年代の「政治の時代の終り」についてと、竹熊本人が非常に影響を受けた90年代後半のサブカル状況を説明しているところ。
渋谷系とアキバ系を区切る境界ラインを明確に示している。最近興味を引いているのは「げんしけん」「ライトノベル」「美少女ゲーム」界隈における、モテ非モテ話への注目度の高さなのだが、これはサブカルチャー的な文化観が、押し寄せてきていると言うことなのだろうか? やはり95年がターニングポイントだったんだろうな……。

正確に歴史を遡るなら、オタクはまぎれもなくサブカルの一種なんですよ。でも90年代に入ったあたりから、なんかお互いいがみ合っている雰囲気があったじゃないですか。厳密には、サブカルはオタクを気にしてないんだけど、オタクは烈しく気にするような。まあ簡単に言ってしまえば、サブカルの中で、イケテル系とイケテナイ系が分離しただけなんですけどね。
イケテル系というのは、これはもう趣味の向こうに「異性」がはっきりといるわけですね。その意味では、まだしも生産的な目的性があるといいますか。一方のオタク系は、ひたすら非生産を追求するようなところがありますわね。

女の子領域においては、「ゴス」「ゴスロリ」【ゴスロリというのは日本独自らしいのでちょっと分ける】が、趣味の向こうに異性が見えてないという点で近いのかも知れない。他にもあるのだろうが、まだそこまで自分的な視点が及んでいない。

竹熊健太郎のエッセイには90年代の特異性のようなモノを書いているが、やはり1995年には何かがあったんだろうな……。
ちょっと面白い例として1995年に美少女ゲームで何があったかという雰囲気を伝えているエッセイ。最近、めっきり更新が少なくなってしまったが、考察として非常に面白かったので見続けてきていたサイトばいならより95年の周辺状況と美少女ゲームの集大成「同級生2」についての話。
http://www.ne.jp/asahi/pero/ecd/shiru/spotlight05.htm

当時、1日で終わるゲームがほとんどだったのに、本編までたどり着くのに丸1日かかるゲームをやった気分というのを想像できますか?「さ〜て、イーアルカンフーやるか〜」とファミコンつけたら鉄拳3が始まったというか、「え〜っと、消しゴム消しゴム」つって机の引き出し開けたらネコ型ロボットと目があったというか、「お〜い、テレビ見ようぜ〜」と妹の部屋に入ったら妹が後藤理沙になっていたというか。凄すぎてにわかに把握しきれない状況とでも言えばいいんでしょうか?

アニメのエヴァがいきなり94・95年にサブカルチャーになったように、美少女ゲームにおいても95年にサブカルチャーとしてのエポックがあったみたい。